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夢の現実科学の妄想 虚空研究所



 




奴らの居場所#9

とりあえず写真展の期間は終了。でもまだ写真はエコーに展示中。

八月十三日 新幹線で広島。在来線で宮島口。連絡船で宮島。厳島神社参拝。宝物館で平家納経を見る。広電西広島乗換えで乗った電車は被爆電車で坂道では焼け付きそうなモーター音を響かせて走る。宇品からスーパージェットで松山観光港。電車乗り継いで帰省。夕食でビールと、もらい物の高い焼酎をロックで飲んで昏倒。

八月十四日 同じように飲んで昏倒した父は翌日には元気恢復して「迎え酒でもしたらしゃんとすらい」と沈没したままの私の枕元へ缶ビール持って来るが私の胃は何も受け付けない。父は昔癌の手術で胃をなくしているので平気なのだ。おもえばここ二週間仕事が忙しく体調が悪かったところへ普段飲み慣れん高級焼酎を入れたものだから胃がたまげたんじゃのう。結局その日は飲まず食わず頭痛が痛くて殆ど寝たきりとなり、腰痛も痛くて寝返りをうってはまた胃が気持ち悪くなりお酒の神様に申し訳なく、写真を撮ろうにも二眼レフが重すぎてフイルムをよういれんので、三十五ミリで部屋の中や庭をちょっと撮ってはまた横になるといった状態で写真の神様にも申し訳なく、こんなすてきなピーカンの夏の日に写真が撮れんとはムゴイことじゃのう。いつだったか誰かのブログであえて写真を撮らない日を作ろうと言っているくそ馬鹿がいると知ったが、そんなくそ馬鹿にはわしの気持ちはわかるまいこの人生であと何回こんな素晴らしい晴天があろうか、晴天であろうがなかろうが今日は今日しかないものを撮りたい時に写真が撮れんのは情けないのう。しかしこの体調では炎天下に出たらたちまち蒸発すらいとおもい日が傾くのを待ち、何とか二眼レフ首に下げて墓参りの行き返りに写真撮り帰って風呂入ってまた寝る。

八月十五日 昼の電車で高浜。観光港からスーパージェット。今日はかなり恢復したので港や船内からみえる景色を写真にとりながら宇品まで。夜七時過ぎに帰宅。

八月十六日 まだ本調子ではない感じで家でごろごろ。昨日の航海の余韻で、船舶関係の雑誌のバックナンバーを読み返したり、今年の夏休みの課題圖書『海底二万里』の続きを読んだり、夏の定番CD『黒いオルフェ〜オリジナルサウンドトラック〜』聴いたりする。

八月十七日 家の掃除。CDあがた森魚『日本少年』後半を聴く。これを聴くとああ夏休みももうおわりじゃと毎年思うのです。とくに今年は海底二万里も読んでいるので、ことさらに心に染みます。体調はだいぶんもとにもどりつつありますが、まだお酒を飲みたいとは思いません。ああ今年はちょっと情け無い夏休みになってしまいました。元気を出す為に『日本少年』の歌詞カードにある、わしがぼーずあたまの中学生の頃から大好きな文章を引用します。

 『夢は踏切れる事はあつても、決して醒める事は無い。僕達は其れを識つて居る。識ら無いのは、否忘れてしまつて居るのは大人達丈だ。彼等は、もう夢など見る術も無いと想ひ込んでしまつて居る。悲しい事では無いだらうか。夢など決して醒める筈も無いのだ。
 僕達は決して忘れ無いだらう。僕達は生きる歓びは、子供の頃見續けた夢をひとつひとつ實現して行く事に他ならない。
 アイザツク・ニュートンの様に、ベンジヤミン・フランクリンの様に、チャールズ・ダーウインの様に、アルバート・アインシユタインの様に、ライト・ブラザーズの様に、トーマス・エデイソンの様に。』(振り仮名省略、躍字は仮名に改めた)

八月十八日 今日からまた仕事いやだなーとおもいつつ開いた朝刊に福岡正信が九十六歳で老衰で亡くなったという小さな記事を見つける。以来一週間福岡正信について思い続ける。

八月二十四日 『宮本常一が歩いた日本 昭和37年〜39年』宮本常一 ニコンサロンbis大阪、『Requiem東京大空襲』広瀬美紀 大阪ニコンサロン。本屋で福岡正信の著作立ち読みするが軍資金乏しく結局買わず。小西模型と中古カメラ屋、レコード屋覗いて帰宅。



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